中日打撃コーチ松中信彦、井上一樹監督との関係は?人間性は?

ウィキペディアより引用


出身地 熊本県八代市
生年月日 1973年12月26日(50歳)
身長183 cm
体重 97 kg

八代第一高等学校
新日本製鐵君津
福岡ダイエーホークス
福岡ソフトバンクホークス (1997 – 2015)

中日打撃コーチ松中信彦はどんな人?井上一樹監督との関係は?

プロ入り前

 高校は熊本の八代一高(現・秀岳館高等学校)で卒業後、新日鐵君津に入社。アマチュア時代は特に有名な選手ではなかった。1996年はアトランタオリンピックに出場している。イチロー中村紀洋(元近鉄ほか)、小笠原道大(元日本ハムほか)、石井一久(元ヤクルトほか)、三浦大輔(元DeNA)、黒木知宏(元ロッテ)らと同学年のいわゆるイチロー世代です。

プロ入り後の活躍

 1996年に、福岡ダイエーホークスから2位で指名を受けて外野手として入団した。1997年には23本塁打で頭角を現していく。

 2004年には、打率.358・44本・120打点で平成唯一の三冠王に輝く。通算352本塁打、1168打点の実績もさることながら、在籍した期間でリーグ優勝を7度、日本一を5度も経験。常勝軍団の主軸としてチームを頂点に導いた実力者だ。

 2006年1月には球団と日本プロ野球史上最長の複数年契約となる7年契約を結んだ。

優勝セレモニーボイコット

 松中は13年6月13日のヤクルト戦、不本意な代打起用に不満を抱き、交流戦優勝セレモニーの参加をボイコットした。

 この試合での代打の起用法に納得できず、試合後に行われた優勝セレモニーに参加しなかった。ロッカー室のホワイトボードに「水を差して申し訳ありません。また頑張ります。リーグ優勝に向けて頑張ってください」という謝罪文を書き、荷物をまとめて帰ってしまった。

 この行動は、当然、秋山幸二監督の逆鱗に触れ、シーズン終了まで2軍で過ごすことになった。その後松中とソフトバンクとの関係に亀裂がはいることとなる。

柴原洋と確執

 松中と柴原は送りバントでアウトになったけんで、松中が「言いたいことあるなら言え」と言い、柴原が「ちゃんと走れ」と文句を言ったら、松中が「バントくらいしっかり決めろ」と言い返し喧嘩になった。

 もともと二人は同期で、小久保の巨人移籍不満を抱いた松中が優勝旅行をやめると決定したのですが、そのときも柴原は「聞いてない」と松中が独断で決定したと思ってて、感情の行き違いが昔からあったとのこと。

 このことも松中=トラブルメーカーというイメージを生み出すことになった。

井上一樹監督との関係は?

 井上一樹監督は鹿児島出身、松中信彦は熊本出身で年は井上一樹が2つ上。つながりは井上が二軍時代に松中の社会人チームと試合を行い親交ができたとも。現役時代から飲み仲間で二人で飲み明かすみたいな話は昔からあったようです。

 今回の打撃コーチの要請は、球団からではなく井上監督からの要請であることは間違いないでしょう。

コーチ歴

 古巣ソフトバンクとは、球団内部の複雑な人間関係や利害関係から入閣の声はかからなかった。2021年に千葉ロッテマリーンズの春季キャンプで臨時コーチを務めた。コーチの経験としてはこの時のみ。野村克也王貞治落合博満ら歴代三冠王獲得者が監督を経験していることを思えば、松中の経歴は少し寂しい。

中日打撃コーチとしての展望

 今回の抜擢はかなりビックリで、劇薬といってもいいかもしれない。しかし松中ほどの才能の持ち主を埋もれさせるのはもったいない。

 ただ中日は、石川昂弥鵜飼航丞ブライト健太ら右の大砲候補はいるが左の大砲候補はいない。もちろん左打ちのコーチが右打者を育てられないことはないので、理論派だし実績十分の松中コーチが中日の起爆剤になることを期待したい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました