中日ドラゴンズ監督、井上一樹二軍監督のあだ名は「ピンキー」

ピンキーこと井上一樹二軍監督はどんは人


出身地 鹿児島県姶良郡溝辺町(現:霧島市)
生年月日 1971年7月25日(53歳)
プロ入り 1989年 ドラフト2位
鹿児島商業高等学校
中日ドラゴンズ (1990 – 2009)
監督・コーチ歴
中日ドラゴンズ (2010 – 2013)
阪神タイガース (2020 – 2022)
中日ドラゴンズ (2024 – )

ピンキーのあだなの由来

 あだ名の由来は現役時代にピンク色のリストバンドを着けていたこと。名前が「一=ピン、樹=キ」だということ。

 2024年に開催された中日ドラゴンズのユニホーム配布イベントで配られたユニホームは、ピンク色でした。井上一樹の監督誕生の暗示でしょうか?

相撲取りになる予定だった

 井筒親方(元関脇逆鉾)、錣山親方(元関脇寺尾)らと親戚関係であり、幼少時代は相撲部屋への弟子入りが確実視されていた。中学3年の時には相撲の稽古場に見学に行っている。

選手時代

 中日ひと筋で20年在籍したが、規定打席到達は1999年の一度だけというように、決して主力選手では無かった。何故長く在籍することが出来たのか?

 規定打席到達が一度だけなのに、2桁本塁打を5回達成している長打力と、勝負強い打力で、スーパーサブ、準レギュラーとして重宝された。

 2006年、2007年と選手会長を務めたように選手たちからの信頼が厚かった。選手会長として、当時の主力選手の誕生日に予定されている主催試合を「福留孝介デー」「井端デー」「川上デー」などとして盛り上げるなど、さまざまなファンサービスをナゴヤドームで実現させた。

中日・阪神コーチ時代

 引退後は、打撃コーチや二軍監督を歴任。2011年には、2軍をウエスタン・リーグ優勝に導いている。

 選手を乗せるのがうまく、厳しい練習を課すけど、選手思いの良い兄貴分と評価されている。

選手を叱る井上一樹

 2019年から2022年までは阪神の打撃コーチ、1軍ヘッドコーチを務め、2023年の阪神タイガース優勝の土台を築き上げた。

 2024年には中日の2軍監督に復帰し、前年最下位だったチームを優勝争いするほどに育て上げた。

監督に就任すれば

 星野監督落合監督のもとでプレイした経験は大きな糧になるだろう。一度中日を出て、他球団を経験していること、現状の中日を熟知していることも大きなプラス材料だろう。

 ネームバリューを心配する声も有るが、監督にネームバリューは求められていない。現状の中日を立て直すにはうってつけの人物です。

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