井端和弘
神奈川県川崎市川崎区
生年月日 1975年5月12日(49歳)
堀越高等学校
亜細亜大学
中日ドラゴンズ (1998 – 2013)
読売ジャイアンツ (2014 – 2015)
2024年11月の第3回プレミア12で監督を務める井端和弘のエピソード
1・野村克也との縁
中学時代投手をしていた井端が、野村沙知代がオーナーをしていたチームと対戦。この試合を野村克也が観戦した。後日、井端の家に野村克也から電話が入り、「遊撃手にコンバートすること」、「堀越高校に入学するこ」とを勧められ、井端はそれに従った。プロ野球界の大御所が、いち中学生にわざわざ電話をするほど井端の才能は輝いていたのだろう。
野村克也なくして、名手井端は存在しなかった。
2・アライバの誕生
井端は名遊撃手だが、プロ野球ナンバーワンの遊撃手は誰か?と言われれば、坂本(読売)や、松井稼頭央(主に西武)、守備なら小坂(ロッテ)らになるだろうが、ナンバーワン二遊間は?と言われれば井端と荒木雅博(中日)のコンビではないだろうか。
二人は2004年から2009年の6年間、ともにゴールデングラブ賞を獲得した。特に、二遊間にとんだ打球を荒木が捕り、井端にトス、井端が一塁手に投げるプレーは「アライバ」と呼ばれ、多くの野球少年が真似をした。
二人は本当に仲が良く、球団の寮を出ると、同じマンションに住んでいた。
3・なんという井端
数々の好守を見せてきた井端だが、ナンバーワンのビッグプレーは、2008年のクライマックスシリーズ(巨人戦)で見せた、6-6-3のダブルプレー。
場面は8回裏、3対3の同点でワンアウト満塁。中日の内野陣は前進守備をひいていた。高橋由伸の打球は緩いバウンドで井端の左横へ。井端は打球を捕ると後方に回転し、二塁を踏むと一塁に送球しダブルプレーを完成させた。
テレビ解説の掛布雅之は「すごい」を連発、江川卓もべた褒め、アナウンサーからは「なんという井端」という言葉が飛び出した。
4・高木守道監督とベンチで喧嘩
2013年5月15日の日本ハム戦。外野からの中継プレーに入らなかった井端を、当時の高木監督がベンチで注意した。このプレーで中継に入る義務が無い井端は納得できずに、ふてくされた顔でベンチ裏に入っていった。その態度に怒った高木監督が、ベンチ裏まで追いかけ、小田幸平選手やコーチ陣がなだめに入る事態がテレビで報じられた。
プロ野球で日本人選手が監督に対し反旗を翻す姿は珍しく、貴重な映像になりました。
5・落合博満との確執
落合博満の監督時代、井端は落合野球の象徴であり、落合も信頼して起用していた。
しかし2013年のシーズン後、落合が中日のGⅯ(ゼネラルマネージャー)に就任すると事件がおきた。中日は、井端の契約更改で今季推定年俸1億9000万円から、6000万ダウンの3000万円を提示した(推定)。故障があったとはいえ、球団功労者へのひどい仕打ちだ。
落合の関与が想像されるのは、2人の確執が噂されたからだ。何故、信頼関係で結ばれていた2人に確執ができたのか。理由はいくつかある。
- 落合監督時代に井端が優勝旅行を辞退した。
- 落合監督時代の2010年無理やり二塁手にコンバートされた。
- 落合が監督を退くと、落合が否定していたWBCに出場した。
- 落合が嫌いな立浪和義に井端が近づいた。
どれもあくまで噂で、本当に落合が年俸を下げたのか、確執があったのかも不透明です。
井端は中日を退団し、読売巨人に入団する。
6・あっさり引退
2015年終了後、2000本安打まで88本に迫っていたが2000本に拘らずあっさり引退した。理由は巨人で同僚になった、同級生で仲良しの高橋由伸が監督就任に伴い引退するから。井端の中で、「高橋由伸より長く現役を続ける」ことは考えられないとのこと。そんな理由でやめるとは・・・。
こんな井端和弘がWBC、もしかしたらドラゴンズでどんな采配を振るうか楽しみだ。
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